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今週のレース:ドバイワールドカップ

競馬
   サッカーやラグビーのように、競馬の世界にもワールドカップがあって、砂漠の成金が莫大な賞金を出すんだそうだ。今週、アラブ首長国連邦の首都ドバイでは、総額何千万ドルにもなる賞金を争う競馬のワールドカップが開催される。
 
   東日本大震災から間もない2011年3月26日。日本代表のヴィクトワールピサが低かった下馬評を覆し、日本馬としてはじめてワールドカップのゴールを先頭で駆け抜けた。喪章を肩に、馬上で号泣しながらインタビューに答える騎手と、ドバイに寄書きで真っ黒になった日の丸を掲げたスタッフを見ておれは涙を流し、ようやくこれでホクトベガも思い残すことはなくなっただろうと思った。
 
   歓喜から遡ること14年。砂の女王と呼ばれ、国内で敵なしだったホクトベガは1997年のドバイワールドカップに日本代表として出走し、そのレース中に事故で死んだ。このレースが終われば引退し、生まれ故郷に戻るはずだった。
 
   さらに追い討ちをかけるように、彼女の遺体は検疫の関係で日本へ帰ることが許されなかった。唯一持ち帰ることが許された彼女のたてがみだけが生まれ故郷で眠る。
 
   ヴィクトワールピサが勝った直後から、ネット上の競馬コミュニティにはホクトベガに触れるファンたちの書き込みが溢れていた。ホクトベガの悲劇があったあとも、何年も何年も多くの日本馬がドバイワールドカップに挑み続け、敗北の歴史を重ねていった。どの馬もホクトベガの弔合戦というわけで出走したわけではないだろうが、おそらく多くのファンはドバイで散ったホクトベガをずっと想いながら、海外の厚い厚い壁に跳ね返され続ける日本馬を「いつの日か」と応援していたのだろう。
 
   そしてようやく、ようやく、日本の馬がやっと厚い厚い壁を打ち破った。2011年3月26日。ホクトベガの誕生日だった。
 
    それから数日後。年老いた一頭の馬が牧場で亡くなった。キョウトシチーホクトベガのライバル、と呼ぶのは少々実力差があったものの、ホクトベガの悲劇の翌年、果敢にもドバイワールドカップへ出走し、6着で完走した馬である。引退後は種牡馬を経て、功労馬として余生を送っていたものの、当時はもう衰弱しきっていて、いつどうなってもおかしくなかったらしい。
 
  そして、自身も出走したドバイワールドカップを日本馬が制したのを見届けるかのように、ひっそりとこの世を去った。ドバイでの歓喜、そして日本で行われたG1レースのニュースの陰に隠れてしまったが、天国でホクトベガに勝利を改めて伝えてやってくれ、という書き込みにおれはやっぱり泣いたのだった。
 
UAEダービー:◎ゴールデンバローズ