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今週のレース:有馬記念

競馬

あれから10年も経ったらしい。日本近代競馬の結晶・ディープインパクトが無敗で三冠を達成し、そのまま古馬をも一捻り、有馬記念を勝って日本一になるのではないかと騒がれていた年の暮れからだ。

 


2005 Arima Kinen 有馬記念

 10年ひと昔というが、あれから10年経って、その有馬記念ディープインパクトを打ち負かしたハーツクライも、そのディープも、そして3着に入ったリンカーン種牡馬として第二の馬生を生きている。一方おれはあれからというもの、ドップリと競馬に傾倒してしまい、大学へ行ってんだか隣駅の場外馬券売り場に行ってんだか分からない4年間を経て、今日も汗水垂らして稼いだ小銭をJRAに奪われている。

10年前、おれは高校生だった。16とか、17のころだ。高校時代は「友達がいなかった」と吹聴しているが、実はこの年だけは友達、というか所属するグループがあった。昼ご飯を一緒に食べるグループがあった。競馬が好きなヤツらだった。彼らなしでおれが競馬に傾倒していくことはあっただろうかと思う。
 
この年の有馬記念はクリスマスだったはずだ。おれはクリスマスイブを家族以外と過ごすということは勿論なかったのだけど、この年は彼らがイブ、まあ有馬記念の前日なんだけれども、有馬記念の検討会をやるというので、土曜の夜のその会に呼んでもらったのだ。呼ばれたおれは「ようやくはじめて高校生らしいことができる! 」と意気揚々に乗ったことのない時間の電車へ乗ったものだ。
 
持ち物はスポーツ新聞と差し入れ。ドキドキしながら日刊スポーツとなにか適当なお菓子を買っていき、主催の家へ向かった。家庭が崩壊しているから深夜でも大丈夫、と家主が自嘲していた家へ入り、騒がしい部屋のドアを開けると見慣れた顔が並んでいて、はじめて友達たちと過ごす夜に気持ちが昂った。が、テーブルの上には缶チューハイが並んでいたのに驚き、たじろいだのを覚えている。舐められちゃいけないと思い平静を装ったけれど、内心高校生ってこういうのが普通なのか、アニメではこんな描写はなかったぞ、と辟易した。はじめての酒はとてもマズくて飲むことができなかった。
 
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はじめて見るスポーツ新聞では矢部美穂が半裸サンタの格好をしていて、ゼンノロブロイに◎を打っていたような気がする。いや、ディープインパクトだったかもしれない。1枠にマイソールサウンドオペラシチー、3番が古馬大将格のゼンノロブロイで、逃げたタップダンスシチーは黄色い帽子を被っていたから勝ったハーツクライと同枠だった、確か。サンライズペガサスコイントスなんかもいたっけな。あと、そうそう。8枠がデルタブルースオースミハルカだったのはよく覚えている。夜通し穴が開くほど見たのだから、10年経った今もなんとか出走馬とその馬番くらいは思い出せる。
 
友達がその年以外いなかったおれにとって、あのクリスマスイブは高校唯一の、最初で最後の思い出だ。本当に特別だった。昨日のことのようによく覚えている。結局、次の年にはクラス替えでみんなバラバラになり、受験勉強も重なってなんとなく疎遠になり、みんな違う大学に入って……月に叢雲花に風、さよならだけがナントヤラとよくある別れになってしまったけれど。
 
有馬記念には年末も合わさっていろいろな思い出がある。翌年、ディープインパクトの引退をおれはノロウイルスの病床から見送った。大学へ入ったおれは彼女へのクリスマスプレゼント代がマツリダゴッホに無茶苦茶にされ、フラれた。アドマイヤモナークトゥザグローリーの強襲に膝から崩れ落ちた。快哉を叫んだ記憶はゴールドシップが勝った年とドリームジャーニーのグランプリ連覇くらいしか記憶にない。
 
すべての記憶はあの陋屋のクリスマスイブから始まった。あの埃っぽい部屋が中山競馬場に繋がっていて、それからおれを府中へ、後楽園へ、札幌函館新潟京都阪神小倉中京へ向かわせた。今にして思えば、あの部屋のドアは開けてはいけないドアだったのかもしれない。けれども、それを10年前のおれに忠告することができたとしても、ああ、おれはきっとドアを開けてしまうのだろう。難儀なことに好奇心と、希望とともに開けてしまうのだ。パンドラが好奇心に負けて災禍の箱を開けたようによ。
 
有馬記念:◎ショウナンパンドラ

追記(27.12.23)
回避て。