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あの日

感想文
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あれから5年経った今年の3月11日は、5年前と同じ金曜日だった。おれの営業トークも、向こうの営業トークも震災に終始し、あの日のことは共通の世間話、苦労話となり、どこか風化し、過去のことになったようだった。

あの日、おれは卒業を控えた大学生で、埼玉の実家に居た。揺れはすごかったものの、県内各地で見られたような液状化現象だとか、母親の山形の実家含め具体的な被害はなかった。しかし、おれの仲のよかった友人がいわゆる被災地出身で、地震の一週間前に実家へ帰ると言っていたことがたいへんに気になっていた。

彼に送ったメールは次の日まで返事が来ず、最悪の事態も頭をよぎったが、家族含めて無事であると返事が来た時は非常に安堵した。彼が無事だと知ると、おれの関心は原発計画停電に移り、疎開と称して京都の友人を頼り、最終的には山口、福岡と落ち延びるように逃げていった。

4月も間近に迫った3月の終わり。卒業式が中止になった我々のことを思って、サークルの有志が卒業パーティを開いてくれた。そこでおれは被災した彼の姿を見つけた。彼は変わらず元気そうで安心した。酒の席でもなるべく震災のことは触れないように努めていたのだが、あまりの彼の明るさと酔いもあり、ついあの日のことを聞いてしまった。

「イヤ、おれは仙台で遊んでいたし、家は内陸のほうだったから家族も友人も無事だったんだよね」

ああ、そうなんだ。ならよかったじゃん。おれはそんなことを言ったのだと思う。

「でも、まあ、家は流されてさ」

おれはその言葉になんと返したか覚えていない。

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去年ようやく都合がつき、彼の地元へ、いわゆる被災地を訪れた。市街地はどこにでもある郊外都市であり、被災したという面影はすでになくなっていた。

しかし、避難場所となった高台から見た海沿いの景色は、確かに津波が街を呑み込んだことを物語っていた。内陸県で育ったおれは海を知らない。海がこんなに恐ろしいということを知らない。目の前の穏やかな海しか知らない。

それから、彼は運転しながら大勢の児童が犠牲になった小学校に行くかとおれに問うた。おれはとてもじゃないが、行く気になれなかった。

ただ、彼の実家だった場所に連れていってくれと言った。それに特段深い理由はなかった。彼は怒ったのか考えていたのか、少し黙ったあと、それはやめておこうと言った。車内が気まずい空気になったことはおれでも分かった。

仕方のないことだが、震災で影響のなかった地方の人間はその事を忘れる。忘れなくてもどこか他人事だ。福島の人や、まだ仮設住宅にいる被災者の人はかわいそうですよねえ。そう言って震災にまつわる世間話は終わる。おれもそれに同意して営業の本題に入る。

おれは3月11日はこうあるべきとか、こうするべきとか、あれは不謹慎これは不謹慎だとか言うつもりはない。ただ、震災後と昨年、そうだ2回もだ、おれの思慮の足りない一言で彼の傷口に塩を塗り込んだかもしれない。そのことを1年で一番後悔する日になる。東北の1日でも早い復興を切に、切に願います。

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